中国の変化① 海外投資
中国の経済発展と、これに伴う政治的な発言力増大はもう目新しいものではない。しかし、中国が確実に次のステップに移ったと感じさせる出来事が最近相次いでいる。
第一は、中国資本による海外企業の買収攻勢だ。11月中旬に中国国営4大銀行のうちの3つ、すなわち中国銀行、中国工商銀行、中国建設銀行がスタンダード・チャータード銀行株(金融界では通称、スタチャン)の取得を企図して、シンガポールの外貨準備運用機関であるタマセックと協議を始めたと報じられた。今年7月にも政府系の中国国家開発銀行がバークレイズ銀行株式の3.1%を取得、10月には中国工商銀行が南アフリカのスタチャン株の20%を取得している。2005年8月にロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)の方が、中国銀行株の10%を取得しており、2年で英中の買う側と買われる側は逆転したことになる。
これらの買収攻勢は、歴史的な意義がある。スタチャンは中国内に最大の店舗網を持つ銀行であり、同時にアフリカ、中東にも広く展開している。これらの動きは中国の露骨なアフリカ・中東戦略の一翼に見えるが、それ以上に西欧の対中植民経済政策の終わりを象徴的に意味しているのだ。
スタチャンは1969年、南アフリカのスタンダード銀とインド・オーストラリア・中国チャータード銀との合併で出来た。スタンダード銀行は1862年、スコットランド人ジョン・パターソンらにより設立され、1950年代半ばにはアフリカ全土に約600の拠点を持った。チャータード銀は1853年、ビクトリア女王からの特許状により設立、最初の支店をカルカッタ、ボンベイに開設し、1862年以降は香港で紙幣発行銀行となる。1880年には横浜に出張所を開設。1960年以降イースタン銀行を合併、中東へも支店網を拡大したことからみても、英国の植民政策と不即不離の銀行である。その銀行を中国が買うという時代に入った。
中国の変化② 日本との産業競争
これまでの中国には日本の下請け的なイメージがあったが、今や2国間相互の輸出入の50%近くは電子部品となり、製品の組み立ては完全に中国の仕事となった。図1を見てもらいたい。今やパソコン、携帯電話などいずれも日本企業の現地法人も含め中国で作られている。中国が世界の工場なのだ。
日本は高度な部品だけを製造、その組立ては中国という水平的な棲み分けが成熟してきた。これまで中国が担っていた軽工業はベトナムやカンボジアが担いつつある。その後は当然、日中が技術競争することになる。ただ図2に見られるように、技術投資先として注目されているのは中国である。10年後日本の技術立国は危うくなる。そうなるとサッチャー政権が出る前の英国と同じだ。アジアでの水平分業はもはや幻想、日本が技術でトップにいる時代は長くはあるまい。
なぜ中国が有力なのかといえば、理系学生の多さと勤勉さという。日本は耳が痛い。はっきり国の構えを考え直す必要が出てくるだろう。それでなくても、①の海外投資で中国の技術力獲得スピードは一段とアップ確実なのだ。
中国の賃金は、2006年には物価上昇を引いて年平均13.5%上昇、同じ時期の国内総生産(GDP)の年平均増加率の10.3%を3.2ポイント上回っている。これはコストプッシュ・インフレが近い将来確実に起こることを意味している。そして図1で示した製品独占率を考えると賃金上昇は必ず生産品価格に上乗せされる。世界的なインフレはいずれ必至だ。だから金が上がっている。日本にとっては、ドル安が気になる。
だが実際に世界的インフレが来た場合でも、日本で地方構造改革が終わっていなければ金利は上げにくいだろう。急がなければ地方のみならず日本の産業自体が中国に打ち負かされる。その前に中国企業が日本企業の買収に来ることは必至である。
その時日本はどうするのか。現在日本では出生率の低下が話題となっているが、人口が減った方が経済が縮小しても分配が同じ、生活レベルが同じなのでラッキーとも言える。さらにもう一つ。中国の政治が安定しない場合のリスクだ。そのカタストロフについては言うまでもあるまい。いずれにせよ日本政治の体たらくに付き合っている暇はない。
(07年11月24日脱稿)
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