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Fri, 11 September 2026

小林恭子の
英国メディアを読み解く

小林恭子小林恭子 Ginko Kobayashi 在英ジャーナリスト。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ(現ジャパン・ニュース)」の記者・編集者を経て、2002年に来英。英国を始めとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。著書に「英国メディア史」(中央公論新社)、共著に「日本人が知らないウィキリークス」(洋泉社)など。

盗用疑惑の元ケンブリッジ大教授アーデイ氏の死 メディアの過熱報道、責任問われる大学

8月14日、ケンブリッジ大学の元教授で、論文の盗用疑惑の渦中にあったジェイソン・アーデイ氏(41)が、ロンドン南部の自宅で遺体で発見されました。死因は明らかになっていません。26日には検視官による死因審問が始まりました。それまでの数週間、長く伸ばしたロックス・ヘアと人懐こい笑顔が印象的なアーデイ氏の姿がメディアで繰り返し伝えられていましたが、常に「盗用(plagiarism)疑惑のある人物」として紹介されていたため、「なんだか怪しい人」という印象を持った方もいたかもしれません。その後、メディアは次第にアーデイ氏の私生活や過去の活動にも疑念を向けるようになっていきました。


アーデイ氏は1985年、ロンドンでガーナ系の両親のもとに生まれました。自閉症スペクトラム障害と発達遅延と診断され、本人によれば11歳まで話せず、18歳まで読み書きができなかったそうです。それでも、頑張って学び続け、2015年にリバプール・ジョン・ムーア大学(LJMU)で教育学の博士号を取得するまでになりました。複数の大学で教鞭をとった後、23年3月、37歳でケンブリッジ大学に教育社会学教授として着任。同大学史上最年少の黒人教授となり、「DEI」(多様性・公平性・包摂性)を象徴する動きとしても大きく注目されました。

アーデイ氏の論文をめぐる懸念が出てくるのは、教授着任直後の23年5月です。プリマス・マージョン大学のデービッド・ハリス教授が、アーデイ氏の18年の論文にあった「意図しない重複」箇所の訂正について本人に説明を求め、教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(THE)の記者にも情報を伝えました。25年6月には、別の教授から別の論文をめぐって調査手続き上の倫理的懸念が提起され、これをきっかけに記者が博士論文を含む過去の研究成果を本格的に検証し始めました。記者から連絡を受けたLJMUは正式な審査を開始し、今年3月、「盗用や研究不正は認められない」と結論づけました。

ところが7月、ケンブリッジ大学で研究していた哲学者、ネイサン・コフナス氏が、ニュースレターで新たな疑惑を公表しました。アーダイ氏の博士論文には、別の博士論文と酷似する箇所が100カ所以上あるという主張です。コフナス氏は、DEIを名目に人事基準が緩んでいると批判してきた人物で、24年には黒人差別と受け取られかね ない発言などを理由に、ケンブリッジ大エマニュエル・カレッジの職を解かれています。「テレグラフ」紙などが原文比較の記事を掲載し、疑惑は一気に社会問題化しました。報道は学術論文だけにとどまりません。マラソン完走や慈善活動など、アーデイ氏が語ってきた個人的な経歴も俎上に載せ、証言の食い違いを報じました。7月31日、アーデイ氏は「タイムズ」紙の取材に初めて詳しく応じ、「間違いは認めるが、嘘つきではない」と反論。盗用は否定し、批判には人種的な動機やDEIへの反発があると訴えました。


当初は「悪質なキャンペーン」とアーデイ氏を擁護していたケンブリッジ大学は、8月5日、「新たな情報」を受け、任用過程や着任後の対応について調査を行うと発表。同日、アーデイ氏は教授職を即時辞任しました。辞任は「自分の研究や、ケンブリッジに導いた価値観への信頼を失ったということではない」と強調しました。12日、大学は独立調査として進める方針を示しましたが、報道はやまず、14日、アーデイ氏は亡くなりました。20日、疑惑を指摘したコフナス氏自身も、アーデイ氏に対する差別行為の疑いで調査を受けているとして、所属するベルギー・ゲント大学から停職措置を受けました。

学者として不正が疑われれば検証は必要ですが、すでに「不正は認められない」との結論が出ていたはずの人物が、なぜ改めて厳しい追及にさらされたのでしょうか。メディアや大学側の責任は? その背景に人種差別やDEIをめぐる対立はなかったのか。アーデイ氏の死はこうした問いを社会に残しました。

キーワード

Plagiarism(盗用)

他人の文章やアイデア、研究成果などを、適切な出典を示さず自分のものとして示すこと。日本では「盗用」と「盗作」はほぼ同義だが、学術分野では「盗用」が一般的。英国の大学では「学問上の不正行為」の一つとされ、故意かどうかなども判断材料となる。認定されれば、学位の取り消しや論文の撤回につながる場合がある。

 
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