チャールズ・ダーウィン年表

シュルーズベリー時代
1809年(0歳) 2月12日:イングランド南西部シュルーズベリーで、6人兄弟の第5子、次男として誕生
1818年(9歳) 7月:母のスザンナが腫瘍を患い死去
シュルーズベリー・寄宿生学校時代
1819年(10歳) 9月:寄宿制のパブリック・スクールに入学
1823年(14歳) 兄と共に、召使の年棒よりも多い費用をかけて化学実験室をつくる
1825年(16歳) 6月:狩猟に夢中になり、父より学校を退学させられる
エディンバラ大学時代
  10月:医学を学ぶためにエディンバラ大学に入学
1828年(19歳) 4月:エディンバラ大学中退
ケンブリッジ大学時代
1829年(20歳) 1月:ケンブリッジ大学、クライスト・カレッジに入学。植物採集に開眼、植物学者ヘンズローに気に入られ、よく一緒に散歩するように
1832年(23歳) 1月:ケンブリッジ大学の学士号取得
6月:ケンブリッジ大学卒業
8月:ビーグル号への搭乗を持ちかけられる
ビーグル号時代
  12月27日:出航
1836年(27歳) 1月:火山噴火を見る
2月:南米チリで大地震を体験
3月:アンデス山脈を横断
9月:ガラパゴス諸島に到着
ロンドン時代
1837年(28歳) 10月:英国に帰国
1839年(30歳) 1月:エマ・ウェッジウッドと結婚
5月:「ビーグル号航海記」出版
12月:長男ウィリアム誕生
1841年(32歳) 3月:長女アン誕生
1842年(33歳) 5・6月:「珊瑚礁の構造と分布」出版
ケント州ダウン村時代
1842年(33歳) 9月:ケント州ダウン村に転居。次女メアリーが誕生するも、3週間後に死去
1843年(34歳) 7月:叔父ジョサイアが死去
9月:三女ヘンリエッタ誕生
1844年(35歳) 1月:「火山島についての地質観察」出版
1845年(36歳) 7月:次男ジョージ誕生
1846年(37歳) 10月:「南米の地質」出版。フジツボの分類に着手
1847年(38歳) 7月:四女エリザベス誕生
1848年(39歳) 8月:三男フランシス誕生
11月:父ロバート(82歳)死去
1850年(41歳) 1月:四男レオナード誕生
1851年(42歳) 4月:最愛の長女アン(10歳)死去。信仰を捨てる
5月:五男ホレース誕生。
「蔓脚類(フジツボ 類)の研究」出版
1853年(44歳) 4月:後の友人となるハクスリーと出会う
11月:フジツボの研究に対して王認学会からロイヤル・メダルを受賞
1854年(45歳) 9月:「蔓脚類(フジツボ類)の研究」2巻出版
1856年(47歳) 5月:自然淘汰説の草稿執筆開始
12月:六男チャールズ誕生
1958年(49歳) 6月:ウォレスの論文が手元に届く。六男チャールズが死去
7月1日:ウォレスと共に論文を発表
1859年(50歳) 11月:「種の起源(自然選択の方途による種の起源について)」出版
1861年(52歳) 5月:ヘンズロー死去
1862年(53歳) 5月:「ランの受精」出版
1864年(55歳) 10月:王認学会から「コプリー賞」を受賞。だが受賞理由に「種の起源」は含まれていない
1868年(59歳) 1・2月:「飼育栽培下における動植物の変異」 出版
1871年(62歳) 2月:「人間の由来と性選択」出版
1872年(63歳) 11月:「人間および動物の表情」出版
1875年(66歳) 7月:「食虫動物」出版
11月:「登攀植物の運動と習性」出版
1876年(67歳) 5月:自伝の執筆の着手
12月:「他花および自花受精の効果」出版
1877年(68歳) 7月:「同一種の植物における花の異型」出版
11月:ケンブリッジ大学の名誉学位を受ける
1880年(71歳) 11月:「植物における運動能力」出版
1881年(72歳) 10月:「ミミズの作用による土壌の形成」出版
1882年(73歳) 4月19日:心臓発作により死去。26日、ウェ ストミンスター寺院に埋葬される 

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